プロフィール

このサイトの運営者

中原るん

どもどもこんにちは、中原るんでーす!
まずはここまで覗いてくださり、本当にありがとう!

今私は
青果卸業取締役兼
YouTuber兼
漫画家兼
不定期でラジオトーカー

をしながら母と弟を養っています。


最初、私はどこにでもいるただの陰気な子どもでした。
今様々な方面で活躍できているのは、
育ての親からの教えと、
その人の死により何もかも失った経験があるからです。

自分ではかよわい(笑)女の子のつもりなんですが、
なぜか人には「精神力が強い」とか「メンタルが強い」と言って貰えます。

このサイトでは私の仕事について紹介したり、
楽しい日常や過去の不幸話を漫画にして掲載しています。


今回はプロフィールということで、
過去の生い立ちから詳しく説明していきますね!

文章はあまり上手くないですが、
波乱万丈で面白い人生だとよく笑ってもらえます(笑)

陰気な子どもだった幼少期~小学生低学年

人の顔色ばかりうかがっていた大人しい子ども

私には一つ年下の弟がいます。
そのせいかとにかく私は
「お姉ちゃんだし、しっかりしなくちゃ」

という意識が小さい頃から強く、
誰に聞いてもしっかりした子供だったと言われます。

けどこれ、親にとっての「しっかりした」なので、
自分の意志がないってことなんですよね。

親に迷惑をかけないように必死で、
例えば母が「あのカラスは白いわね」と言ったら、
即答で「そうだねママ!」と言える子供。

奔放で明るくて成績の良くない弟がきらいで、
60点でも褒めてもらえる弟と、
90点で「もっと頑張ろうね」と言われる自分を比べては、

(私はお姉ちゃんだから当然の対応。
弟とは違う。もっと頑張らなくちゃ!)

と、かなり頑張って自分なりに大人の対応をしていました。

完璧主義なのに完璧になれない90点の人生。

赤点ですらない凡庸な人生は面白くもなく、
私は物心ついたときには空想の世界に夢中でした。

そして気がつけば、
教室の隅で漫画ばかり描いている暗い子
に。

どれぐらい暗いかと言うと……

正直引かれちゃうんじゃないかと思うんですが、
当時私が描いてた漫画を見てもらえれば早いと思います。




※衝撃的なシーンなので暴力的シーンの苦手な方は気をつけて!(笑)※



いや?????

予想外すぎません?

ちなみに小学三年生ぐらいの絵です。


どこで覚えたんだ???


ちなみにこんな絵が本当にまだまだ沢山あって、

ミカになんの恨みがあったのか………。

しかもなんか、隣の人も息してなさそう。


と、まあこんな感じで暗い子というより怖い子だった訳ですが、

それでも私なりにいじめられないように、
仲間はずれにされないように、
あまり興味のないアイドルの歌を聞いたり、
流行りのドラマを見たりしていました。
今思うと馬鹿らしいですが、当時は家族からも友達からも、
とにかく人に嫌われるのが怖かったんです。


そんな臆病な私にある日、人生の転機が訪れます。


ビバと出会って人生が変わり始めた小学生高学年

ビバと運命の出会い、両親の離婚

あれは小学四年生、母と買い物に行っていた時でした。

「あれ、○○ちゃん?」
「あれ、ビバ?」
「「久しぶり!」」

母が、学生時代の友人ビバ(あだ名)と偶然出会いました。
この出会いが、私の今後の人生を大きく変えることになります。

ビバはとても美人でボーイッシュで、
(宝塚歌劇団の男役の方をイメージして貰えれば近いと思います)

(なんて格好いい男の人だろう!)と思ったことをよく覚えています。
のちに、母の「女子校時代の」友人と知って驚きました。

ビバと母はその出会いを境に急速に仲良くなり、
私も、破天荒でワイルドで、
今まで見なかったタイプの大人であるビバが大好きになりました。
今思うと、憧れや初恋に近い想いを持っていたと思います。

父は厳格な人で、よく正座で懇々と説教されたりしたものでしたが、
ビバは真逆の自由人。
やがて、母はよく父の愚痴をビバに話すようになりました。

そして小学四年生の冬の日。
家族四人で夕食を食べ終わったあと、母が言ったのです。

「ママとパパ、離婚してもいい?」

私はその時も思わず
「嫌われないように」「一番二人にとって都合の良い」答えを言いました。

「二人がそれで幸せになれるならいいんじゃない?」と。

我ながら子どもらしからぬ答えだと思います(笑)

親の離婚なんて漫画みたいで、
内心わくわくしていた部分もあります。

(当時周りに母子家庭は少なかったので)


しかし、当時私は中学受験に向けて準備していた小学四年生。
母とビバが通っていた中高一貫校を目指していました。

父からの養育費はあるものの、
私立受験など当然諦めることになると思っていましたが、
そこで名乗りをあげたのが、なんとビバでした。


「私が払う。私が三人を養うから一緒に暮らそうよ!」

ま、ま、漫画みたーい!
と感動したことをよく覚えています。


こうして、ビバ+母+私+弟+ビバが飼っていた犬二匹の暮らしが始まりました。

演劇に一球入魂!中学~高校時代

ビバの影響を受けて個性全開の創作者へ

父も祖父母も、私たちを知る誰もが
「そんな同居、上手くいきっこない。ビバはすぐにお前たちを捨てる」
と言いましたが、
ビバとの暮らしは、それはそれは楽しいものでした。

当時、母とビバの女二人。
寝る間も惜しんで働いて、月給40万。

二人はそのお給料+いくばくかの養育費で私と弟を塾に通わせ、
私立中学へ受験させてくれました。

生活は決して楽じゃないはずなのに、

ビバには一言も「誰が養ってやってるんだ」ということを言われたことがありません。

こうして勉強の得意だった私は第一志望の女子校へ合格、
晴れてビバと母の後輩となります。



親にとっていい子でいたかった私は、
当時は受験すらも、「親が喜ぶから」していました。

将来のこととか、まったく考えてませんでしたし。

もちろん、特に入りたい部活もありません。

部活所属は必須じゃなかったけど、
恐らくビバと母が喜ぶだろうからと
ビバと母が所属していた「ソフトボール部」に入るつもりでした。
(筋金入りの運動音痴で、スポーツ全般興味ないのに笑)

そんな私に、ビバが聞きます。

「るん、部活はどうするの?」
「分からないけど、多分ソフトボール部にするよ」
「えっ、ソフトボール好きだっけ?」
「別に好きじゃないけど、どこ入っても頑張るからいいかなって」
「……別に、ママとビバと同じにしなくてもいいんだよ」
「え?」
るんはもっと、自分のやりたいようにした方がいい
「いや、十分すぎるくらいやりたいようにさせてもらってるけど」
「本当?ビバが若い時ってもっとやりたいことしまくってて、怖いもの何もなかったから」
「やりたいことすると、友達に嫌われたりしない?怖くない?」
「はは、まさか!」

次の言葉こそ、私の今後の人生を大きく変えた一言でした。

「一人親友がいれば、500人が敵だって怖くないよ。
どうせほとんど卒業したら会わなくなるけど、
そのたった一人とはきっと一生の付き合いになる。
学校ってのは、その一人を見つけるための場所だからね」


目からうろこでした。
確かに小学校で六年間、あんなに嫌われないように努力したのに、
ほとんどの友人と交流が途絶えてる。

中学高校の友人が一生の友達になることは、ビバと母を見ていればよく分かる。
ならばこの六年は、そのたった一人を探す六年にしよう!

部活動は、
本当は漫画研究部に入りたかったけど絵の上手い人が多すぎて心を折られたくなかったのと、
小学校の学芸会で演劇を褒めて貰えて嬉しかったのと、
学生時代はボーイッシュなあまりファンクラブまであったというビバに憧れて、
演劇部に入部しました。


演劇部なら公演ポスターを描いたり、脚本を書いたりできるはず。

もちろん演劇に興味もありましたが、
どちらかというと
敵の少ない土俵で絵や創作の自己表現がしたかった
という理由があります。

私の狙い通り、漫画研究部には絵の上手い人達がごろごろいて、
もし入部していたら絶対に途中で漫画が楽しくなくなっていたと思います。

私は演劇部で、その公演のワンシーンを漫画に描き起こして
同期に見せたり(思い返すと黒歴史だけど笑)、
公演ポスターを描かせてもらったりと、
絵は下手ながら部員の皆に喜んでもらうことで、
創作がどんどん楽しくなっていきました。


確実にあの時のお陰で今この仕事をしてる私がいます。


さて………


では………

めちゃくちゃ恥ずかしいのですが、
それが一体どんな絵だったのか、
ほんの少しだけ紹介したいと思います。

もちろん小学三年生の時よりは随分上手になったと思いますが、
今度は別の種類の恥ずかしさがこみあげてきます。




これA3サイズですからね。

A3ですよ、A3。小さめのちゃぶ台くらいある。
この上でごはんが食べられます。



しかもね、
これ主演脚本演出ポスター全っっ部私なんですよ。
ジャッキーチェンか?

すっごく楽しかったけど、今思うと穴があったら入って堀り進めてブラジルに出ちゃうぐらい照れくさい。
当時付き合ってくれた部員の皆さんには感謝しかありません。


ただ、私が手がける前の演劇部の告知ポスターは、
原則白無地の紙に油性ペンでタイトルと場所が書いてあるだけでした。

当然、どんな劇か内容が分からないので生徒もあまり入らない。

そこで、少しでも劇の雰囲気や内容が伝わるようにと、
工夫を凝らしたのがこのポスターだったんです。

今思えば私が初めて本能的に考えたマーケティング、
集客だったかもしれません。笑



ちなみにこの公演は、立ち見が出るほどお客さんが来てくれましたし、
この脚本は伝説の脚本として、
高校を卒業して十年以上経つ今も
母校で公演されているそうです。



ビバのお陰で個性全開、怖いものなしになった私は、
部活に携わる最後の一年間で80分の脚本を二本、
60分の脚本を三本、
30本の脚本を一本書きました。


もちろん粗削りで、
脚本のルールも全然押さえられていないお粗末なもの。
ですがお客さんも来て、時に笑って時に泣いてくれて、
後輩たちも楽しそうに演じてくれました。

もう一つ理由があるとするならば、
私のいた演劇部は全国大会などに出場しない部活だったので、
部員とお客さんが楽しければそれでいいや!
という楽観的な考えで進めることが出来たこと。


それでも、夜も寝ず授業中も脚本のことを考えて、
当時の全力を本当に何もかもぶつけていました。


どれぐらい部活だけに全力だったかというと、
脚本を書くのに夢中で、
体育祭の時、創作ダンス直前の円陣に参加できなかったぐらい。


260人の円陣に一人だけ不参加、やばすぎません?笑
小学生の頃の私が見たら卒倒しそうです。

けど、正直当時の私は、演劇部以外はどうでもよかったんです。

誰かに反発を持たれることもありましたが、気になりませんでした。


「一人親友がいれば、500人が敵だって怖くないよ。
どうせほとんど卒業したら会わなくなるけど、
そのたった一人とはきっと一生の付き合いになる。
学校ってのは、その一人を見つけるための場所だからね」



まさしくこの言葉通りに過ごしてました。

そして助言に従ったおかげか、
人の顔色をうかがってばかりだった小学校より、
人目を気にせず変わり者だった中学高校の方が
遥かに楽しかったです。



また、ビバの言っていた通り、
演劇部の同期とは卒業して10年以上経つ今も
一ヶ月に一回、少なくとも一年に一度は会う「親友」になれました。



テキトーに遊んでた大学時代

棒人間で日記漫画を描き始める

大学生になった私は演劇サークル……には入りませんでした。
演劇は好きでしたが、中高の「あの演劇部」を愛しすぎて、
他の演劇サークルへ入る気にはなれなかったんですね。

迷った私は何を思ったか弓道部に入部し、
東京ドームシティでアルバイト、居酒屋でアルバイト、
部活にオフ会と、キャンパスライフを謳歌します。

中でも一番楽しかったのがオフ会。

ツイッターやmixiで出会ったオタクの女の子たちと
毎日のように会って遊んでオールしてました。
(ネットで男の人と知り合うのは怖いので、
女の人だけ)

同じジャンルを愛する(当時ヘタリアが大ブームだった)女の子たちと、
絵を描いたりカラオケに行ったりするのが楽しくて仕方ありませんでした。


家で絵を描く時間もないほど遊んでいたので、
この頃「描くのが楽」という理由で、棒人間でエッセイ漫画を描き始めます。

今の活動の前身となるのかな?
かなりお粗末ですが見てやってください。
(左からどうぞ)


こういうのを、
mixiのアルバムなんかによく貼ってました。


友人が喜んでくれるのが嬉しくて、こんな内輪公開の四コマ漫画が100本以上あります。
こんな感じで、私は大学生活を謳歌していました。




話は変わって、この頃ビバはとある会社の社長にスカウトされます。

ビバと母は私たちの学費を稼ぐためにとにかく仕事をしてました。
当時の二人の仕事は八百屋で青果の配送。
特に体力のあるビバは仕事熱心で八百屋のエースでした。

青果業は業界も狭いので、
ビバの噂を聞きつけたとある青果会社の会長がなんとビバに
うちの会社で社長にならないか」とスカウトしたのです。


社長のポスト、高い給料と熱心なスカウト。
ビバは迷わず転職。

経営の傾いていたその会社の顧客を
持ち前の営業力で80件から250件に増やし、
年商を5倍に上げました。



ビバはめちゃくちゃ営業力と体力のある人です。
ただ、夜中の1:00に家を出て帰宅は20:00過ぎ。
もっと遅い日もありましたし、
休日も仕事をするようになりました。


体を気遣うとビバはいつも笑って、
楽しいから平気!
と言っていたのを覚えています。


そんなビバを間近で見ていた私は、
向いてないのに営業の仕事に憧れます。


私が就職活動をしていた大学四年生の時は、
もっとも就職氷河期と言われていた時代です。

エントリーシートだけで30枚、50枚出すのは当たり前でした。
色々なものに手を出しすぎて特にアピールすることもなかった私は、
適当にエントリーシートを出して引っかかった大手コンビニエンスストアの営業職で内定をもらいます。


ちなみに本当はビバの会社の手伝いをすぐにでもしたかったのですが、
当時人員に空きがなかったのと、
一般企業で経験を積んだ方がいいとビバに言われていたので
異業種の企業で経験を積む選択をします。


こうして私は、社会人になりました。


コンビニ正社員→百貨店バイト→メガバンク契約社員時代

天職と自分らしい生き方を見つける旅

大手コンビニは新入社員が300人もいました。
ブラックすぎてぼろぼろ辞めていくから、新卒の人数も多いんですよね。

外国人の方とか、
世界をヒッチハイクで巡ったヒッチハイカーとか、
本当に色んな人がいました。


かくいう私も入社前に紹介される
「内定者専用SNS」で内定式の棒人間日記漫画を載せるという奇行に走ることで、
皆から「漫画の人」という認知を得ました。


配属された研修チームでは好調に交流を重ね、
四人一組で行う研修最後のプレゼンは10チーム中一位。

それが影響してかしないでか、
浅草のめちゃくちゃ忙しいお店に副店長として配属されます。

この店舗に女の副店長が配属されるのは10年ぶりのことで、
とても珍しいと上司全員に言われました。


が、そこでめちゃくちゃなセクハラに遭います。
ここでも漫画みたいでしょ?笑



けど、ほんとにひどかった。

当時のことを漫画にしてみたので、紹介しますね。


これ最後は「抱かせろ」までいきましたからね。


けど、当時はそこまで異常だと思ってなかったんです。
新入社員は怒られるのが仕事!みたいなところがあって、
本当色んな人に怒られてました。
お前が仕事できないだけやろって言わないで!笑

朝6時から0時まで仕事だったんですが、その中に
毎日二時間の説教タイムがあったんです。

最初のうちはえ~この時間仕事させてよ~とも思ってましたが、
毎日二時間も人格を否定されてると、
だんだん本当に自分がダメな人間に思えてくる
んですよね。

だから、
仕事ができない自分は怒られて当然だし、
抱かれろって言われたら抱かれなくちゃいけないし、
それぐらいは店長に貢献して当然なんだ

とすら思ってました。
洗脳怖い!><

ちなみに、店長とそういう関係はありませんからね。笑
その前に栄養失調になって辞めました!

この漫画にある「本部の上司に言った」というのも、
転職を決意して本部の上司に相談した際に
「本当に何かあったなら、これが最後だしできたら話してみて」と言ってくださったので話した…という感じで。
信じないなら聞くなよ店長がおめーに抱かせろって言うわけねーだろハゲって感じですね!


何はともあれ大手コンビニを辞職した時点の私は、
典型的なワーカホリックでした。


栄養失調で会社を辞めたのに、
仕事をしてない状態が不安で不安で仕方ない。


とにかく仕事がしたかった私は、
体重が戻るまで百貨店の中にある雑貨屋さんでアルバイトを始めます。

接客は学生時代のアルバイトでもしていて楽しかったので、
多分楽しかったという記憶だけで選んだんでしょうね…笑


勤務時間も短く、社員ほど責任も問われないアルバイトは楽でもあったのですが、

今度はびっくりするぐらい貧乏になります。

当時時給950円、月収13万とかでした。
当時はこれで東京の最低賃金割ってなかったんですよ笑

時間はあるけど貧乏になったので半年で辞めようとしたんですが、
人手が足りなかったとか何とかで、
ずるずる一年半ぐらいここのアルバイトを続けました。

実家じゃなかったら暮らしていけなかったと思います。


やがて友人に誘われ、
完璧に給料目当てで今度は
メガバンクのグループ会社の契約社員になります。

結局時間を労働で売る働き方ばかりでしたが、
私がネットビジネスと出会うのはもっと後なので一旦それは置いといて。笑



ここがもー、本当に天国でした。
というか天職だったんです。
コールセンターだったので電話と事務仕事が主だったんですが、
約300人いる社員中成績がほぼずっと一位でした。


電話を切ってから次の電話を取るまでの作業時間の平均を一ヶ月で競うんですが、
平均が120秒くらい。目標は75秒と言われている中で、
私のスコアは大体30秒前後。

私の次に早い人が50秒ぐらいだったので、
本当に早かったんですよね。


退職して三年経ったぐらいで上司に聞きましたが、
まだ私の記録を破る人はいないとのこと。


もちろん応対力も別で評価があるのですが、
学生時代からアルバイトはずっと接客だったので、こちらも得意でした。


注目すべきは事務です。

なぜこんなに私は早いんだろう?と、
我ながら不思議に思い周りに確認したところ、

口では別のことを話しながら、
関係ないことを入力したり書いたりすることができる

という強みのお陰だと判明しました。


たとえば、前の人の住所を入力しながら
次の人の名前や生年月日を聞くといったこと。
今やろうとすると間違えそうで怖いけど笑

当時、一回も間違えたことはなかったです。

私はこれを当然のようにしていたので、
珍しいことだと思わなかったんですよね。

つまり、私の天職は営業ではなかったんです。

ただ、事務が得意という訳でもない。
私がどうしてこの能力を身に付けたかと言えば、
お客さんが求めている能力だったからです。

お客さんはどうしたら喜ぶか?
住所や名前を言ってから
入力で待たされなかったら嬉しいんじゃないか?
そのためには口で別のことを話しながら手で違うことを入力できるスキルが必要……。


そんなこんなで、
「人に喜ばれることが好き」
「そのために、求められることを察することができる」
という自分の能力に、ようやく気付くことができました。



この仕事を始めて三年目のある日、ビバに言われます。


「20年続けた事務員さんが辞めるから、
そろそろうちの会社に入ってほしい。」

この仕事は本当に楽しかったし、
高給なのに有給も長期休暇もあって最高の会社でしたが、
私は次の日すぐ辞職の旨を伝え、
ビバが代表取締を務める青果卸会社に、事務員として入社しました。


ビバが四年前から乳がんを患っていたこともあり、
とにかくビバの力になりたくてうずうずしていたのです。

ビバの右腕となり仕事に燃える日々

やっと親孝行ができる!と仕事が楽しくて仕方ない日々

正直に言います、弊社はブラック企業です。

というか業界自体がもうかなりブラックなんですよ!

給料は安いし肉体労働だし有給なんて当然ないし、
そもそも休むなんてとんでもない。
週に二回従業員の休みが確保されてるだけでも弊社は優良だと、
最初ビバに言われてちょっと驚きました。
気になって従業員の人に聞いてみたことがあります。

「どうしてMさんはこの仕事を続けられるんですか?」
「俺はビバについてってるからなあ」
「ビバに?」
「おう、正直あいつが来るまでは辞めようと思っとった」
「え、そうなんですか?今より忙しかったとか…?」
「いや、逆にめちゃくちゃ暇やったよ。ビバが来てむしろ忙しくなったわ」
「暇すぎてやりがいがなくて辞めたかったとかですか?」
「いや、会長がホンマに嫌いやってん」
「会長が…?」
「あいつは、ホンマにあかんよ。るんちゃんも気いつけや」


会長は、83歳のおじいちゃんです。

ただ、会長はビバが23時間勤務して疲れ果てていても、
休みの日であっても、
よく「トイレットペーパー買ってきて」などのおつかいでビバを呼び出す
ので、
良い印象はまったくありませんでした。
会長は随分な気分屋で、言っていることがころころ変わると、
人を悪く言わないビバが珍しく愚痴を言う人でした。

のちにこの会長の嫌な部分を、
ありったけ私は見せられることとなります。



会社を拡大するに当たって、
繁忙期は何度もありました。

気分屋の会長は、
猫の手も借りたいほど忙しい繁忙期に、
突然一人で海外旅行に行ってしまうぐらい気まま
です。


その穴埋めをするのはいつもビバで、
従業員の人たちが
「ビバさん、死んじゃいますよ。
あとは自分がやるから帰って寝てください」

と懇願してくれて、やっと
「従業員に任せる仕事量じゃないのに…本当にごめんね、ありがとう」
と言いながら家路に着くのです。


そんな頑張り屋さんなビバでも、ワガママの言いやすい人がいます。

それは私!!
だって家族だから!



前の事務員さんには言えなかったわがままも、
私にならば言えると、よく仕事を任せてくれました。


たとえば釣りに行きたいから仕事を早く上がりたいとか、
午後から旅行に行くから早めに帰りたいとか、

それでも本当に時々で、
もっと甘えてくれてもいいのにと思えるぐらいのお願いでした。

私にとっては、これが親孝行のつもりだったんです。
ビバがしてくれたことに比べたら、
本当にささやかな恩返しでしたが。


72連勤しながらも単行本発売へ

時間は作るもの!

私が勤めて半年が経ちました。
勤め始めたばかりの頃、アナログなシステムで驚く私に、
前任の事務員さんはよく言ったものです。

「電卓があるだけ感謝しないと!
最近までそろばん使ってたんだから」

おいおい江戸時代か?

別にアナログが悪いとは言いません。
それでも、事務経理雑用の膨大な仕事量のうち、ほとんどは計算でした。
計算は人間がやるより機械の方が正確で、遥かに早い。

得意なことは得意なものに任せて、
我々はもっと創造的な仕事をした方が良い。


ビバにその旨を伝えて、
私はその年に黒字で残った利益を利用して、パソコン二台と経理システムを会社に導入しました。


新たなシステムを導入するということは、本当に大変でした。

まず事務の人数自体少ない。
私と、私の休みの日に週2で出てきてくれるパートさんだけ。

配送の会社なので、基本的に社員は全員配送なんですね。

そもそもパソコンを使える人間が二人しかいません。


しかもパソコンを導入した二週間後、
なんともう一人のパートさんが心筋梗塞で倒れてしまいました。

幸い、命に別状はなかったとのこと。良かった!

かくして、当面一人でやることに。

それからの一年は残業と休日出勤で本当に大変でした。
その年は年間休日が10日もなかったぐらい。
年間ですよ、年間。
多い時でなんと72連勤!


まあ私は「私の人生」という漫画の主人公なので、苦労してなんぼ!
と思って楽しんでましたが。

そんな私の、ささやかな息抜き。

それは漫画を描くこと。
正しく言うと、漫画を描いてツイッターに載せること。


漫画の内容は主に私の日記でエッセイだったから、
人と会ったり遊ぶことも極力断らないでいました。
(ネタになるからね!)

そっちの方も順調で、
なんとpixiv新人賞に投稿していた作品が入選します。
入選して上手くいくと、作品を単行本にしてもらえるのです。

こうして、私の二足のわらじ生活はいよいよ大変になりました。

本業では経理システムをマスターし、
新しいパートさんを雇い、研修し、
心筋梗塞から復活されたパートさんにも研修をしながら、
漫画の単行本作業と打ち合わせに明け暮れ、
ネタのために外でも遊び……
とにかく忙しくて楽しかったです。

それでも、ビバや従業員の皆さんの協力もあり、

72連勤しながらも単行本を出版する

という偉業(?)を達成できました。

その時の単行本が、
愉快な弟が主人公の「弟よ、デブを誇れ。」です。

出版される頃には休日も増えて時間的にも余裕ができたので、
次はビバを題材にした漫画を描こう!と話していた矢先…、


ビバが癌性髄膜炎で緊急入院します。


育ての親ビバの死、そしてすべてを失った

思ったより悪い人がいれば、思ったより良い人もいる。

10月頃から眩暈に悩まされ、
正直ビバも自分は長くないと感じていたようです。

入院中に色々な話が出来ましたが、
入院してから三週間後、
眠ったまま亡くなってしまいました。

とにかくビバは従業員にも家族にもみんなに、
「あとはるんに任せておけばどうにかなる。」
「るんがなんとかしてくれるから大丈夫。」


私には、
「あとは全部任せたよ、がんばれ。」
「お前たちが幸せになってくれればなんでもいいからね」


とずっと言っていました。


ビバは癌になってからずっと、従業員のみんなにも会長にも、
「私の死後はるんが社長を務めるから、
みんなで頑張ってね」
と言っていました。

ところがこのあと、
韓国ドラマも真っ青の泥沼漫画展開を迎えます。


このあたりは本当に複雑なので相関図と一緒に進めていきます。
どどん!




なんか、いや~~な感じしません??

間違えて天使のわっか書いちゃったんですが笑、
ビバが生きていた頃はずっとこんな感じでした。

会長も従業員のみんなもビバも、
システムを導入して72連勤でも18時間勤務でも一生懸命してた私を評価してくれて、
毎日仕事がすごく楽しかった。



さて、この「会長の息子さん」について少し書かせていただきますね。

詳しくは分からないんですが、
仕事をさぼったり、
会長の貯金を盗んで使い込んだり、
借金まみれで自己破産していたり、


とんでもねえドラ息子とだけ聞いてたんですね。


会長はお年を召しているので、
会長が亡くなったら会社の株も全てこの息子さんのものになってしまう。

きっと彼は会社をすぐに売却してしまうでしょうから、
ビバが10年かけて年商を1億から5億にしたのも無駄になるし、
従業員のみんなも路頭に迷ってしまう。



そこでビバはそれを防ぐため、このようにしたんですね。




会長と名義上の夫婦になり、
遺言状を書いてもらったんです。

(個人的には代表取締役になった時点で株を半分貰っておいて欲しかったけど、
会長はすぐ不機嫌になり「俺が早死にするってことか」などと暴れだすので、
この対応だけでも相当苦労した様子)

遺言状の内容は「自分の死後、会社だけはビバに譲る」というものです。


先にも書きましたが会長は本当に気分で動く方なので、
気が変わって「息子に会社を遺す」と言い出さないように、とのことで。



……という状態で、ビバが亡くなりました。

何が起こったと思います?

ビバはですね、
私が会社を継いだ時、
最初の数年は経営が上手くいかないこともあるだろうだとか、
当面の生活費を確保したいとかとても考えてくれる人でして、

五千万円の生命保険に入ってたんですよ。

まずそれが全て会長(会社)に流れるということでした。

遺言状もありましたが、戸籍上他人では効力がないそうです。

裁判を起こせばいくらか貰える可能性はあるとのことでしたが、
そんな心身の傷を抉る裁判に伴侶ともいえる親友を亡くした母を出させる訳にもいかない。

正直そんなものはいらないから生きててほしかったです。

ただ、ビバは入院中とにかく私たちにお金が入るのかを心配していたので、
お見舞いでは「大丈夫だよ、ちゃんともらえるよ」と
嘘をついていました。



心配させたら具合が悪くなってしまうんじゃ、
もう治らないんじゃないかと思って、
(奇跡を信じてました)

病院ではずっと「大丈夫、全部上手くいってるよ」
と、嘘をついていました。



しかし実際会社では、このような状態。



会長は息子さんが使い込んだお金をビバが使い込んだと罪をなすりつけ、
更にはビバが抜けて忙しい業務中に私を呼び出し、
泥棒の娘だと懇々と怒鳴り続けるのです。


これには、さすがにびっくりしました。
確かに、よく働く他人より身内。
実の息子にビルも会社も残したいと思うのは親として当然の感情だと思います。

しかし、
潰れる寸前だったこの会社を大きくしたのはビバ。
ビバが会長のワガママを聞きながら、
文字通り命を削って大きくしたんです。


最初の方は悔しくて悔しくて涙も出ましたが、
ここで言い返したら入院中のビバに何か言うかもしれない
と思うと、何も言えませんでした。

会長の唯一良いところは、
会社では私を散々罵りながら病室のビバには
「俺がみんなの面倒を見てやるから大丈夫だ」
「お前の娘を悪いようにはしないから」
と、嘘をつくところだったからです。

マジで悪役すぎる笑

ビバにストレスを溜めないでくれれば何でも許せましたが、
ビバは入院三週間目に亡くなってしまいます。




さあ、ここからは反撃です。
もう怖いものがないので。

私は会長との会話は全て録音していたので、
まず従業員の人たちに聞いてもらいました。

従業員の人たちは皆勤続年数が長く、
会長のワンマンさについていけずに辞めようと思っていたものの、
ビバがあまりに会社を大きくする働き者なので、
ビバについてきているような人たちがほとんどでした。


なので「私に」というわけではないですが、
息子さんのことも皆さんよく知っていたので、

マジでほぼ全員るんちゃんが社長じゃないなら辞める
と、言ってくれました。


ここで皆さん、気になりませんか?

こんなに言われてしまう息子さんって、
どんな人なんだろう…。


というかそもそも、
話したことがないのに悪い人って決めるのはどうなの?と。


そう考えた私は、息子さんに連絡を取り、会ってみることにします。


会ってみて、びっくりしました。
全然思っていた人と違ったからです。

彼は驚くほど覇気のない人でした。

会話も9割私が話していて、たまに相槌が返ってくるぐらい。
こんなに大人しい人を見たことがないというぐらい、静かな人。

少し話したらすぐに
「心配しなくていいよ。
あのじーさんが勝手に言ってるだけで…
会社はるんちゃんが継げばいいぢゃん」

と、言ってくれました。

「えっ、いやいや、一緒にがんばりましょう!?」


社長が会社を存続する条件は一つ。
息子さんが自分の会社で働くこと。

従業員の人たちにも報告し、説得し、
そして会長、息子さん、私、従業員の社内会議の末、
最終的にはこういう図式になりました。





これ、息子さんも被害者だったんですよね。
お母さんは若い内に亡くなってらっしゃいますし、
会長に何もかもひどく押し付けられて、
束縛されて。
反発するには会長の一番大事なお金を盗むことしかなかった。

もちろん窃盗はいけないこと。
それを容認するつもりはありませんが、

社内会議で二人の話を聞いていて、これは親子の問題だと感じました。

ちなみに、会長は私と二人のときは怒鳴る人でしたが、
会議では物凄く大人しかったです。


全ての人のために今、全力で走り出す

人生は漫画より奇なり。

会議は一応私が代表取締役を務め、
息子さんが社員として修業するという形で収まりました。

ただ、会長はやはり最終的には息子さんに会社を継がせたいのだと思うし、
私もそれが筋だと思います。

それに、株を持たせてもらえないのに立場だけ代表取締役になるのは絶対に嫌でした。

もちろん、ビバが愛して大きく育てた会社。
ビバの名残が沢山残っている会社。

情に任せればどんな形でもいいから会社を続けさせてくださいと、
縋りつくべきなのかもしれません。


ただ私には、母と、弟と、犬二匹に対して責任があります。

ビバにも生前確認しましたが、
会社より愛しているのはやはり家族だった。

何が何でも、私が突然稼ぎを失うようなことがあってはいけないのです。

この小さな会社で株を持たずに社長になるということは、
権利がないのに責任だけ負う

ということです。
会社が成功して大きくなっても、
会長が死んで息子さんが株を継いだら私は追い出されるかもしれない。
それまでにこの会社がもし潰れたらそれは私のせいで、その際の賠償は私が負うかもしれない。

そんな馬鹿な話は、ないですよね。


――――こうした話し合いを何度も繰り返して、
結局私は5月にようやく【取締役社員】へと落ち着きました。


会社は私が居ないと回らないですし、
お客さんと従業員の人たちのことは大好きなのですぐ辞職するようなつもりはありませんし、
今も全力で業務に取り組んでいます。

が、会長は相変わらず思い出したようにありもしない借金を返せと私を罵ったり、
取引先に如何に私の育ての親が泥棒だったかを語ったり、
会長の息子は私に糞の始末をさせたりと、無意識の嫌がらせはずっと続いています。

面白いのと生活のためにも当面在籍はしますが、既に愛着はありません。
会長が亡くなった際、私は静かに去ろうと決めています。

その時自分が何をしているのか、これからどうするのか。
想像すると今からわくわくします。


ただ、ビバが死んで一瞬何もかもなくなった瞬間は物凄く怖かったし、
今もこの先の人生については少し恐怖があります。


だけど、何もかもなくなったって私には何でもできる。

なぜなら、私は生きているから。

その時起こした行動のお陰で、
今の自分があります。

我ながら振り返ると、すごく面白い人生ですね!

ここまで読んでいただき、本当にありがとうございました。
書いててすっごく楽しかったです。

このブログでは
私の「漫画よりも奇妙すぎる人生」や日常、
ビジネスコミュニティでのセミナーレポやLP漫画などをぽつぽつ書いていきたいと思います。


それでは最後に、人間頑張れば何もかもどーーーにかなる!


強く生きましょう!




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弟よ、デブを誇れ。は単行本も発売中。
まだ我が家が幸せだった頃の漫画!笑
20ページ以上書き下ろしてます~

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